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上野千鶴子や原真人に【みんな平等に貧しくなろう】と言われた時に読む話

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中日新聞プラスにおいて、東京大学名誉教授上野千鶴子氏がこの国は平等に貧しくなり、静かに衰退していこうといった趣旨を提言していた。医者の家に生まれてもともと裕福な家庭出身であり、国の借金を1000兆円以上にしてその恩恵を受けている世代がこのように言っているのに対して私は憤りを感じる。またこの方は数年前にも、「成熟社会なんだから、外食できなくてもお鍋つついて100円レンタルかりてみればいいじゃん(笑)」みたいなことをほざいていたので、今回も同じような内容で議論を呼んでいる。これと同様の戯言を朝日新聞の編集員の原真人が経済成長を追うなという記事で書いている。経済成長を追うな、ここ200年が例外などなど、的外れでとんちんかんなことを述べている。さすが、朝日新聞様である。45歳以上で早期退職に応じたら、10年間現在の年収の半分(平均年収1000万以上)を退職金に上乗せという超破格な条件で早期退職応募を行える会社である。そんな大物をごろごろ抱えている会社の既得権をもっている年代であるので、原真人の年代の人は成長しなくても十分に良い生活ができるだろう。さらには、国民負担率を増やして、分配することが大切と上野千鶴子氏は述べていた。

ここで、このような発言をしている人間は、決して貧乏ではないし、これから貧しくなるといっても自分以外の人間たちが貧しくなると言っているだけということには注意を払う必要がある。国民負担率も自分は年金をもらう世代なので、現役世代を搾取し、自分の年金を確保したいだけだろう。結局、他人事だから適当に述べていたり、自分の立場から見て都合がよくなることを述べていて、日本のことを考えているわけではない。

 

では、まずどのようにして、経済成長していないにもかかわらず、上野千鶴子氏や原真人氏の給料が高止まりで維持してきたかについて考察してみよう。

日本は年功序列の国であり、大企業社員をリストラすることが難しいことで知られている(正確には、高度成長期の判例の積み重ねで難しくなっている)。もちろん、公務員はいうまでもなく、リストラされない。教師として問題を起こすと教育委員会に出向みたいな感じでクビになることはめったにない。年功序列が成り立つためには、会社が成長してポストが増え続けながら、人数も増えつづける必要がある。しかし、バブルがはじけて20年間は一般的に会社は成長せず、ポストが増えないという事例が発生した。ここで、増加したのが、派遣社員である。派遣社員はリストラする手間を派遣会社が担ってくれるので、企業はこぞって派遣社員を増加させた。このとき、賃金は安く、クビになるリスクは高いというハイリスク・ローリターン状態が生まれた。この人たちに負担を押し付けながら自分たちの給料水準を維持してきたのが実態だ。公務員でも特に大学ポストは同様であり、現在は教授以外は任期付の契約がほとんどとなっている(再任されるとき、任期なしになる場合もあるがはじめは任期付である)。大学を増やしすぎ、さらに博士も増やしすぎた結果でもあるのだが、ポスドク問題も発生している。このようにして経済成長が起きなくても彼らみたいな既得権を持つ人間が問題ないように、若者の給料が安くなるようなシステムが生み出されているのだ。

つまり、経済成長が起きようが、起きまいが、彼らは他人に負担を押し付けて自分たちはいい思いをしており、死ぬまでその状態が維持できる見通しがあるのでどうでもよいのだろう。

 

我々現役世代は、超高齢化社会がきついのではなく、今までのばらまきによる借金が1000兆円を超えており、さらに着実に医療費という名の借金が積みあがっていき、それと同時に負担額も増額されつづけていることがきついのである。つまり、安穏と年金もらって能書きを垂れている人間が作った借金を若者は返さないといけないからこそ、未来に希望が持てないのだ。その借金について、麻生太郎氏という首相を1年で「ぼくちん、もう無理」といってやめているボンボンが間違った能書きを垂れている。2010年の内容であるが、ざっくり内容を記述すると、国の借金であって、国民の借金ではない、メディアで国民1人当たりの借金700万円などが書かれているがそれはうそであって、国民が国に貸しているのだから、貸付金なんだという内容である。本当だろうか。このような発言は盲目的に信じるのでなく、歴史を振り返ってみると良いと考える。第二次世界大戦後に預金封鎖を行った(下記記事参考)結果から考えると、政府を無条件で信じることは危険だと私は判断する。

 

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 いろいろ述べてきたが、既得権を持っていない人間は、[足るを知る]という老荘思想に安易に納得してはいけないということである。