【かおかぼ】のブログ

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上司・部下はそれぞれどのように見極めて対応すればよいかについて考えてみた

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先日、以下のような記事を読んだ。

 

日本的「裏の承認欲求」が働き方改革を妨げる

http://toyokeizai.net/articles/-/203695

  

著者自身の言葉で、この記事を一言で語ると、裏の承認欲求が(という意味不明な言葉がでてきて)働き方改革を妨げている真の原因であると記述されているように思う。

 

また、記事の内容を私の主観で勝手に好意的にまとめると

 

働き方改革を唱えても残業はなくなっていない。その理由は、法律や年功序列などの構造上の問題もあるが、心理的・社会的な要因もある。その中身は、上司や周囲の目を気にして早く帰りづらく、また休暇がどれないことや、頑張っていることをアピールするために残業するためだろう。これらは人の承認欲求が原因として起こっていると考えられ、頑張りを認めてもらいたいという考えが、労働環境を自ら悪化させている事例もある。また、評価される側のみでなく、評価を行う側の人々の考え方も、いっぱい残業したほうが偉いという意識、自分の時間を犠牲にした方が偉いという意識がこびりついている。このような独自の価値観を見直さないかぎり、働き方改革は進まないだろう。

 

という風な文章になると思われる。

 

上記した記事のように、働き方や、できる(できない)上司は○○、できる(できない)部下は○○等について記述している記事がすでに世間に多くあふれているが、以下に、上司の立場、部下の立場の時、それぞれどのようにすればよいのかについて、私の考えを示していこう。

 

どのようなタイプのサラリーマンが存在するか

まず、現状把握として、どのようなサラリーマンがいるのかを私の狭い範囲内ではあるが、身の回りを参考に述べていこう。

 

タイプ①:【仕事頑張る+気に入られるようにゴマをする】サラリーマン

 

仕事を頑張るということは、時間いっぱいパソコンを眺めてあーでもない、こーでもないと悩むことではもちろんない。技術者のみならず、あらゆる仕事についていえることだが、自分の仕事に関する分野の知識習得および技能習得を行いながら、仕事を行うのである。そして自分自身の専門性および広い知識を習得したうえで、上司などに必要なときにゴマすりして仕事を自分の望む方向にもっていく人である。

 

タイプ②:【頑張っているフリをして、気に入られるようにゴマをする】サラリーマン

 

このようなことを率先して行う人間は、完全に私の主観だが、上にはペコペコ・下には横柄なタイプが多いような気がする。また、残業時間=頑張っている勲章であるかのように毎日就業~終業時間まで残っている人間や、声だけがでかい人も含まれる。私が考えるこのタイプの一番の特徴は、長時間会社にいてがんばって努力して仕事をしているはずなのに、自分の担当業務の知識ですらまったくないことである。

 

タイプ③:【仕事頑張る+ゴマすりがへたくそ】サラリーマン

 

このタイプの人間は、最低限、自分の担当区分(専門)の内容に詳しい。そして自分の専門からの視点によって問題の解決案などを出して活躍している人が多い。しかし、アピールが下手だったり、ゴマすりが下手だったりしているので評価はそれほどつかないことが多い。

 

タイプ④:【ゴマすり特化】サラリーマン

 

言葉通りの意味で、仕事をやっているフリはしていないが、ゴマすりだけは欠かさない人材である。このようなタイプもタイプ②と同様に上にはペコペコ・下には横柄タイプが多い。そして圧倒的なまでの能力の無さが目立つ。メールの誤字脱字が多いというようなことであればまだましであり、母国語である日本語がうまく操れず、文面が日本語として成立していないことも多々ある。

 

タイプ⑤:【仕事はしないけどやめません】サラリーマン

 

弊社は従業員の平均年齢が比較的高い会社であるので、このような社員は高齢者が多いが、若い人にも存在する。言葉通りであるが、仕事をゆーっくりやるのであれば、まだ良いほうで、やらない場合も多々ある。しかし、割合は少ないが、昔努力していなのか専門性が高い人間も存在する。

 

部下の立場で何をする必要があるか

上記にサラリーマンのタイプを記述した。私個人としては、タイプ①かタイプ③になる必要があると考えているが、自分がどのようなサラリーマンであるか or どのようなサラリーマンになりたいかは自分で決めるほかない。

 

では、まず、部下の立場でどのような対応をすればよいのかについて記述していこう。

 

評価される側の人間(部下)として、昇給や昇格に対して一番大切なことは、昇給・昇格の権限を持った上司に気に入られることであろう。これは日本のみならず、欧米でも当たり前であり、古代からの真理であろう。

 

残念ながら、結局は、がんばっているのも努力しているのも上が決めることであるので、下の人間ができることは限られている。

 

よくある昇給・昇格は自分の実力がついてきてそれに付随して行われるものなど、自分の実力論があるが、それは幻想に過ぎない。規模の小さな会社で上に無能がいると会社はつぶれるが、ある程度以上の規模を持つ企業では、部門または直属の部下は困るが、会社はつぶれない。昇給・昇格する(スピードが早い)人は確実に上の人間に気に入られている。

 

では、まず部下が行うことは何なのかというと、上司が【賢人かクルクルパー】のどちらなのかを見極めることが必要であると考える。

 

例えば、大半の上司は、下から意見を言われるのが嫌な人間が多い。これは意見の度合いにもよるが、何かの考察などで論破するようなことはほとんど嫌がられることが多い。私は、仕事の内容の議論であれば、自分の意見を言うことが義務であると考えているが、言う人間を間違うとひどい目にあうだろう。

 

個人的に賢人と思うのは、仕事内容についてキチンと議論できる上司である。なおかつその上司に専門性があり、提案したことをやらせてもらえることがセットであれば文句なしである。一方のクルクルパーは、自分自身の承認欲求を満たすこと、例えば自分が上であると下に認められたい(認めさせたい)としか思っていなく、なおかつ、仕事の良い成果は自分のもので、うまくいかないときには人のせいにする人間である。

 

つまり、当たり前だが、上司がどのようなタイプなのかを見極める必要があると言いたいのである。

 

この見極めを間違えるとどれだけ真面目に真剣に仕事をしても無駄になってしまうので、注意が必要である。

 

ちなみに、賢人が上司のときは、全力で仕事をすればよいが、クルクルパーが上の時には、仕事の手を抜いて(理想は手抜きがばれないように返事などは元気よく、そしてバカにした態度などを取らずに)自分の能力向上に時間を費やすほうが良いだろう。

 

次に【ゴマをするか・すらないか】を決める必要がある。

 

私自身は当たり前の話だが、ある程度上に阿る必要はあると考えているが、必要以上のゴマすりは自分の時間の無駄なのでしないことに決めている。ゴマをする・すらないは個人の自由であるので、各個人の裁量でどれだけ行うかを決めればよいが、この時に認識しておくべきことがある。

 

それは、人から好かれようという行為は、100%相手の意思によって決まるものであるということだ。自分をどれだけ犠牲にして尽くそうが関係ない。つまり、人から好かれようとする行為は労力と効果が見合うことが非常に少ないのである。

 

その一方、嫌われないための行動は労力と効果が見合うことが多いと考える。その内容は、例えば最低限の礼儀を守り、横柄な態度をとらないなど、まずは自分自身が上司や先輩後輩にされて不快に思うことを相手にしなければよいからだ。また、人から好きと思われるより、嫌いじゃないと思われるほうがハードルは圧倒的に低い。個人的には、嫌いじゃないと思われていればいいやという気持ちで人と接している。なぜなら嫌いじゃなければ、何かを相談するときにきちんと頭を下げてお願いすれば話を聞いてくれるからであり、仕事を進める上で困らないからである。

 

このように部下の立場からみれば、上司を【賢人かクルクルパー】のどちらなのかを見極め、どこまで【ごまをする・すらないか】を決めることが大切であると考えている。

 

上司として部下をどう見極めるか

上司の立場であっても、自分の上司はほぼ必ず存在する。自分がどのような部下であり、これからどのような部下でありたいか等については上記した内容から自分自身で判断すればよいだろう。ただし、タイプ①か③でなければ、部下からの信頼や尊敬は得られないということを肝に銘じて日々を過ごしたほうがよいと考える。

 

一方、上司という立場になったときに新たに発生する大切な仕事は、上司として部下にどのような評価をつけるかということだろう。

 

このとき、クルクルパーに分類される上司は、がんばったフリをしている人間やゴマすりオンリーの評価を高くする(タイプ②や④)。そして、会社としてそのような無能が多くを占めるようになると、その会社の人間の多くが、ゴマすりやアピール力のみが向上することになる。例えば、いつも夜遅く残っているということや、パソコンの前で、派遣が取得したデータや設計した図面をパワポに張り付けて、見栄えだけ良い資料を作成することなどが代表例だろう。そして、昇給昇格に実務能力は関係がなさすぎるような評価が続くと、設計者なのにCADが使えなかったり、ITエンジニアなのにプログラムを書いたことがなかったり、研究開発者なのに実験器具にさわったことがなかったりする人間が社内の大多数を占めるようになってしまうのである。

 

では、どのように評価すればよいのだろうか。

 

この時の解決策の一つは、【仕事の結果】のみで評価して、プロセスの評価を行わないことが、よく挙げられる。これらは、営業やラインになっていない製造部門などでは、腕の差がでてきて仕事をこなした量で結果が見えやすいので、この解決策を適用してもよいだろう。

 

では、それ以外の成果が見えにくい仕事、例えば研究開発などではどのようにすればよいのだろうか。

 

その一つの判断基準に、上司に意見や考えをキチンと述べることや、仕事に対する知識量や技能の有無を設けることが必要であると私は考えている。

 

まず、自分の上司に意見を言うということは、業務に関係のある分野の勉強を人並み以上に行い、知識習得していないとできないからである。ただし、このように上司にはっきりと意見を述べるような人間は生意気なことが多いので、ある程度の態度は笑って許したほうがよい。これで、タイプ③の人間の評価が可能になると考えている。

 

次に仕事に対する知識量や技能の有無の判断基準であるが、これは、タイプ①と②を見極めるために必要だと考える。ぱっと見てタイプ①とタイプ②の見極めは不可能に近いが、普段の雑談、もしくは業務の報告などで見極めることは可能だろう。なぜならタイプ①とタイプ②の唯一にして最大の違いは、自分の担当業務に対しての知識や技能の有無であるからだ。このとき、上司に必要なことは、雑談や報告資料を見たとき、知ったかぶりかどうかの判断ができることである。やはり自分自身が深い専門的知識があれば、専門が違っていて、完璧に理解が出来ずとも、表層的な説明なのか、深い説明なのかの判断は可能だろう。これでタイプ①の人間の評価が可能になると考える。

 

タイプ①と③の人間が会社の上層部に多くいる会社は自由闊達に勢いのある会社になると考えるが、逆にタイプ②や④のような無能なイエスマンのクルクルパーが多くいる会社は、どんよりとした雰囲気で、部下の元気がなく活気のない会社に現在なっており、将来の倒産候補に陥っているだろう。